『かわいい彫刻ほど、旅をさせたいと考えています。
展示会に必要な最低限の彫刻たち以外は、すべて作ったものは手放してきました。いいものほど、手放す方がいい、そういう思いを感じられたときから私は、ひとりの彫刻家として自立できたように思います。
いつか、世界各地に自分の彫刻の動物たちがちりばめられている夢を見ます。海辺のレストラン、山奥の山荘、町中の図書館、コンビニのレジ、どんな場所にも、似合うような彫刻を作りたいと考えています。
そして作った作者は不明でも、その彫刻が町の人からかわいがられる、そんな風になったら、どれほどすてきなことでしょう。
昔阪神大震災にあって、家の中がぐちゃぐちゃになりました。
たくさんの神戸の人たちの大切なものが焼かれ、壊れて消えてしまいました。
そしてまた大きな地震で、たくさんの方の大切なものが失われていきました。
地球上安全な場所なんてないし、どこに住んでいても、土地を買ったとしても、
すべては地球の持ち物なんだという気がしています。
自分自身だけのものなんて、この世界に一つもないような、そんな気さえしています。』
彫刻家はしもとみおブログ―ナマケモノ日記 タイトル「旅する彫刻」より抜粋
『失った形を取り戻す、そんな事なんて、人間の手にはとうていできない事なのでしょう。
形あるものは、失われるからこそ、美しくもあるのでしょう。
私は彫刻で、命を吹き込んでいるとかそんなふうに思った事は一度もありません。
命はもう既に木の中に眠っていて、モデルのその動物たちが、「私を思い出して」といっているような気がして、制作しています。
あの時の、あの表情、あの一瞬を思い出して、それを形にする、
デッサンにデッサンを重ね、15年もの訓練を経ても、いまなお制作は難しく、うまくいかないたびに、落ち込んだりもします。
最初は私が出会った個人的な動物たちを残していましたが、
いまでは、多くのかたのたいせつないきものの家族の姿を、彫刻にする仕事を続けています。
とても難しく、責任の重い仕事ですが、私があの震災の後おもった、
「あの子は、あの子がいる景色は、どれほど美しかったことだろう」の思いが、
私を迷わせる事無く正しい方向へ、動物たちが導いてくれているように思います。
かつて生きていた美しいものたちから、これから生まれてくるであろう美しいものたちへ、
彫刻を通して、伝える仕事を、生涯続けて行けたらなと思っています。』